番外編: [ITスキル標準とキャズム]
概要:
ITSSはテクノロジーライフサイクルのキャズムを乗り越えつつあります。
新しいホールプロダクトが十分に形成されれば、メイン市場の実利主義者に受け入れられる可能性も大きいのです。そのためには、重要顧客(例:銀行、製造業(自動車)、流通業など)を戦略的かつ組織的に攻略する必要があります。その方策について、論じます。
1.はじめに
ITスキル標準が発表されたのが、2002年10月。V2が発表されたのが約4年後の2006年。
その間、多くの人の努力があり、普及を推進してきたと思います。テクノロジーとは関係ないと思うかもしれませんが、普及の道のりを振り返ってみると、まさにこのテクノロジーライフサイクルが当てはまることに気がつきます。
やはり初期市場とメイン市場があり、その間には大きなギャップ(キャズム)が存在しているのです。
これから、各々のフェーズを検討してみましょう。
2.初期市場におけるITスキル標準
初期市場では、先進的なIT企業がこぞって導入しました。ITSSユーザー協会の主要なメンバーである、オラクル、NTTソフト、NECソフト、日立システムアンドサービスなどです。またこの時期にITSSユーザー協会そのものも設立されました(2003年12月)。当時のユーザー協会の会員が初期市場のメンバーというところではないでしょうか。筆者も2004年に会員になりました。
初期市場の構成はイノベータとビジョナリーです。これらの企業はITSSが多少使いづらくても自分たちの努力を惜しまずに使ってくれました。社内で独自のスキル標準を作ろうとしていた先進的なIT企業が該当します。NTT系、NEC系、富士通系などがまず飛びついたようです。経産省(当時は通産省)からの圧力があったのかもしれませんが、いくつかのメリットを感じたようです。
例えば、800ページにものぼるITSSと同等のものを社内独自で作成する手間隙を考えたら、そのまま流用するほうがはるかに楽だと考えたでしょう。また、社内のスキル体系が市場のそれと同じモノサシになれば、調達のときの利便性にメリットを感じたかもしれません。
大手のサービス企業は東と西のサービス子会社数社が合併したばかりで、社内の制度を統一するという動機もあり早期に導入されました。
特筆するのは、IT企業のみならず人材派遣業も当初から重大な関心を寄せていたことです。P社は早期からITSSを市場における共通のモノサシとしてとらえ、派遣するエンジニアをITSSで職種とレベルを統一し、求人側の顧客企業に提案していたようです。ITSSという共通のモノサシが、社内と市場の活性化に貢献することを先取りしていたことになります。
このころにITSSを導入した企業は多大な努力を払い、業界発展のためも兼ねて大変な貢献をされてきたと思います。また現在もその貢献は続いており、心から敬意を払うしだいです。ITSSユーザー協会の内部の活動(ワーキンググループなど)を見ていると、その献身的な活動に本当に頭が下がる思いがします。この初期市場のメンバーのおかげで、ITSSは順調とはいえないかもしれませんが、それなりに普及してきたのです。
テクノロジーが成功するためには、製品そのもの以外に、その周りのソフトウェア、サポート、サービスといった、全体としてユーザーの価値を高めるもの、すなわちホールプロダクトが形成されなければなりません。それは自社で提供するもののみならず、サードパーティ、ISV、などからも提供される必要があります。ITSSの普及にも同様なことがいえると思います。ITSSのホールプロダクトとはどのようなものでしょうか。
客観的に見ると、当時のITSSはまだ研修ロードマップはあるもののそれを提供してくれる研修ベンダーも少なかったと思います。 診断ツールも今と比べると貧弱なもので、 プロフェッショナルコミュニティもまだ立ち上がっておらず、導入をコンサルティングできる人材も非常に限られていたと思います。すなわちホールプロダクトという観点で見ると、まだまだ貧弱な状態だったと言わざるを得ませんでした。
それでも、初期市場の先駆者のIT企業の方々は、この乏しいホールポロダクトを自らの手で補充するべく尽力をされてきたのです。
このようにして、ITSSは初期市場において何とか受け入れられてきたのです。
3.キャズムに落ち込んでいたITスキル標準
初期市場での状況がそのままメイン市場で通用するでしょうか。そうは問屋がおろしません。初期市場とメイン市場の間には広くて深い溝(キャズム)が存在します。このキャズムを乗り越えない限り、巨大なメイン市場に到達することはありえないのです。ITSSも同様です。
ビジョナリーと実利主義者の比較を図示します。
ビジョナリーの特徴 |
実利主義者の特徴 |
・直感的 |
・現実的 |
・革新を求める |
・現実的 |
・人まねをしない |
・他人の成功を参考にする |
・群れを避ける |
・群れを成す |
・リスクを進んでとる |
・リスクを管理する |
・将来のチャンスにかける |
・現実の問題にかける |
・可能性を追求する |
・確実性を追求する |
J. Moore: Crossing The Chasm
IT業界も「実利主義者」が多いことに気がつきます。彼らはあえて高いリスクをとろうとはしません。「まだあの会社がITSSを導入していないからいいだろう」と周りの模様を眺めています。「親会社が何かいってきたときに考えればよい、それまでは情報収集にとどめて置こう」、「元請が導入しない限り自分たちには関係ない」といった具合です。また情報システム子会社などは、「親会社の情報システム部門からの仕事さえこなしておけば何もITSSなんて関係ない」と考えているのです。2004年から2006年のV2発表以前まで、このような状況が続いたような気がします。
重要なことは、この「実利主義者」が市場のなかで最もサイズが大きいということです。この市場セグメントに受け入れられない限り、成功はありえません。キャズムを乗り越え、「実利主義者」いる向こう岸に到達しなければ、ITSSも多くの不幸なテクノロジー商品(Video会議、レーザーディスク、人工知能、衛星携帯電話、などなど)同様に、消え去ってしまうかもしれないのです。
ですけど、心配は要りません。地道ですが、実利主義者にも少しずつ受け入れ始めてくるようになりました。皮肉にもITサービス業ではなくITユーザー企業の情報システム部門で導入してくれるところが出てきました。2005年12月のユーザー協会カンフェランスで発表されたファイザー様がその典型です。この成功例は多くのことを示唆してくれます。大手ユーザー企業として初めての導入として注目されました。これを機会にユーザー企業向けスキル標準(現在のUISS)の策定が加速されたと思います。それだけでなく、アウトソース先の大手IT企業が否応なくITSSを導入せざるを得なくなったこと、などです。そうです、ユーザー企業が導入すれば、その協力会社(外注先)のIT企業はITSSを導入せざるを得なくなるのです。ここに大きなヒントがあります。
4.ボーリングレーン
キャズムを越えるための戦略は「ボーリングレーン」と呼ばれます。まず一番得意のセグメントもしくは周りに重大な影響を与えられる主要顧客を狙うのです。そのセグメントの中で影響を与えられる顧客の攻略に成功すれば、口コミや評判でセグメントのなかで主要な地位を得られるようになるでしょう。相手は実利主義者なので、口コミなどを大切にします。得意のセグメントが成功すれば、ボーリングの1番ピンが2番ピン、3番ピンを次から次へ倒すように、比較的容易に隣のセグメント、そのまた隣のセグメントへと移ることができるというわけです。
では、ITSSは1番ピンに相当する、セグメントの中で影響を与えられる顧客(実利主義者)を攻略することができるのでしょうか。1つの成功事例が前述のファイザー様です。ファイザー様だけでは淋しい限りです。もっと多くの影響を与えられる実利主義者を攻略する必要があります。
それを可能にするのが最新のホールプロダクトです。
5.最新のホールプロダクト
ITSSそのものがV2になり、コアプロダクトそのものも強化されました。それだけではありません、周りのホールプロダクトをご覧ください。UISS、認定コンサルタント、導入者制度、ポータルサイト(4月予定)、進化した診断ツール、など。以前のホールプロダクトとは比べ物にならないくらい充実してきたと思います。2年前とは隔世の感がするのは筆者だけではないと思います。
この新しいホールプロダクトの中では、特にUISSがポイントだと思います。ファイザー様で示唆されるのは、大手ユーザー企業の情報システム部門がITSS/UISSを導入すると、そこに出入りしている協力会社のIT企業は否応なしにITSSを導入せざるを得ないということになるのです。いわば購入(導入)の必然性(CRTB:Compelling Reason To Buy)が発生することになります。これがボーリングレーンの戦略を可能にするイネーブラの役割を果たしてくれることを期待します。
認定コンサルタント(筆者もその一人)がスタートしました。まだ少人数ですが、ITSSの普及には欠かすことのできない存在だと自負しています。今後より多くのコンサルタントが認定されることを望みます。
導入推進者制度も普及します。企業内導入者に対しての認定研修です。現在はユーザー協会が主催していますが、近い将来複数研修ベンダーが研修プログラムの一環として提供し、ユーザー協会は認定証の発行を行う。と役割分担をし、より多くの導入者の育成が可能になります。
学校教育との連携まで出てきました。「新潟コンピューター専門学校」がカリキュラムに導入し始めました。大変素晴らしいことだと思います。より多くの大学や専門学校がITSS教育に取り組んでいただきたいと思います。
ポータルサイトは画期的なアイデアで、ITSSに関する情報の集約を行うサイトです。2007年4月にスタートしたばかりです。
6.これからやるべきこと
1)ホールプロダクトがそろってきた今こそ、ボーリングレーン戦略の実行です。影響力の大きい大手ユーザー企業に導入してもらうように働きかけることです。ホールプロダクトとしてはUISS(情報システムユーザースキル標準)が有効です。情報システム部門の機能・役割をここまで整理分類してある企業はないと思います。多くのCIOが興味を持ってくれるでしょう。
具体的には、金融系(銀行、証券)、製造業(自動車、その他)、流通系などで、その業界で影響力の大きなところ、すなわちトップ企業にアプローチすることが重要です。なぜなら、波及効果が極めて大きいからです。協力会社のIT企業にITSSを導入させられる大きな影響力を発揮してもらえます。1番ピンだけでも大きな効果があります。さらに、業界内でその成功が伝われば、同じ事をまねしてくれる(2番ピン、3番ピンに相当する)顧客が次から次へと出てくる可能性があります。またそうなりやすい業界を優先的にアプローチするべきです。
では、誰がアプローチするべきでしょうか。例えば既に導入に成功しているビジョナリーのIT企業が自分の顧客にアプローチするのはどうでしょう。ユーザー協会の主要な会員が有力候補です。自分たちの顧客で、上記業界に影響力の大きい顧客のCIOにアプローチするのが良いのではないでしょうか。顧客側が、UISSやITSSに興味を持てば、既にそれを導入しているIT企業の立場は強くなると思います。営業的に見ても必ず有利に働くことになります。顧客からの信頼もより高まることになります。
2)つづいて、公共機関ではないでしょうか。政府調達の条件にITSSを使ってもらうように働きかける時期に来ていると思います。
これこそ、経産省にリーダーシップを取っていただきたいと思います。ITSSの作成元は経産省(当時は通産省)です。いまのままでは、作るだけ作って放りっぱなし、といわれかねません。具体的にはIPAになるのかもしれません。
7.残された課題
1)まだまだ、IT経営者の意識が低いと思います。まだ従来の「仕事ありき」から脱却していない経営者が多いようです。日常の業務をこなすだけでは経営者とはいえません。ビジネス戦略が求められているということ、それを基に必要な人材像を明確にし、育成(と調達)するという、意識改革が必要です。
2)市場により多くのプレイヤーの参加が必要です。普及すればするほどプレイヤーも多く必要になります。そうすれば競争原理がはたらき、導入コスト(研修費用や診断コスト)も下がります。ホールプロダクトもより充実していきます。ライフサイクルの次のフェーズの「保守主義者」により受け入れやすくなっていくと思います。
ご意見を歓迎します。
連絡先: Mail to : KBマネジメント
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