[図のクリックで拡大表示]
上図はBABOK バージョン3からの引用です。ところで、プロジェクトのそもそもの目的は右側の「プロジェクト後」における「利益」を実現することのはずです。
しかし、プロジェクトの責任者であるプロジェクトマネジャーは当該プロジェクトの品質(Q)、コスト(C)、納期(D)に責任を持ちますが、プロジェクトが修了した時点で仕事が終了してしまい、プロジェクト後のソリューション(例:ITシステム)が運用中にもたらす価値(利益)には何も責任を持っていません。作成の責任者であるプロジェクトマネジャーが責任を持たないのは何かおかしいですね。
ビジネスアナリシスはプロジェクトが終了した後、ソリューションがエンタープライズにもたらす利益(価値)を最大化することを最終的な目的にしていると言えます。ではその利益(価値)を最大化するためには何が重要でしょうか。
プロジェクトは所定の品質(Q)を所定のコスト(C)で納期通りに提供することが使命なので、運用時の利益(価値)を最大化することにはさほど関心が高くありません。現実に多くのプロジェクトマネジャーは、この運用時にソリューションがもたらす利益について、何も知らされていないのが実用です(特にITベンダー)。運用における利益創出の責任はユーザー側の責任という立場のようです。
実はプロジェクト開始以前が重要です。上図では左側の「合理的根拠」の部分です。ここでビジネスアナリストはビジネスニーズを明確にし、エンタープライズが最大の利益(価値)を得るためにはどのようなチェンジ(変革や改革)をする必要があるのかを明確にするのです。ここで行うビジネスアナリシスの活動をまとめたものが知識エリア「戦略アナリシス」です。
【プロジェクト前】
知識エリア【戦略アナリシス】:
BABOK バージョン2では「エンタープライズアナリシス」という名称でしたが、名称が変わっただけでなく、それ以上に内容が大きく変わりました。完全にリニューアルされた知識エリアです。現状から将来の望ましい状態にいたるエンタープライズにおけるトランスフォーメーション(変容)を可能にするチェンジに関する戦略を定義します。この知識エリアのタスクは、エンタープライズ内の任意のレベルにおける、任意のタイプのチェンジを扱うようになりました。従来のバージョン2では単一のビジネス・ニーズに焦点があてられていました。それは、PMBOKが単一のプロジェクトを対象としているのと同じように単一のイニシアチブを対象としていたのです。それが新しいBABOK バージョン3ではエンタープライズ全体にまで拡張されたのです。「戦略的にIT投資する」ためにはコンテキストはエンタープライズ全体を扱うことが多いのです。V2の時の単一イニシアチブだけを対象にしていたのでは戦略的投資につながるとは限りませんでした。新しいV3になって初めて戦略的投資が可能になったと言えます。
しかし、エンタープライズ全体のコンテキストを扱わなければいけないというわけではありません。小さな変化や改善も対象です。BABOKではチェンジの対象として、小さな変更/改善も認めています。日本で得意とする改善活動も当然その対象ですが、それだけでとどまらないことが重要です。大きなイノベーションも最初は小さな変化・変更から始まることが多いものです。やってみなければわからない、やってみて初めて気が付くこともあります。そこにはリスクがつきものです。ですから「リスクをアセスメントする」タスクが新しいタスクとして位置づけられました。これもバージョン3の大きな変化です。
実験からスタートし、概念を実証し、プロトタイプをユーザーに評価してもらいながら追加のニーズを探り出す。それを繰り返し、リスクを取りながら徐々に完成品に仕上げていく。そのようなイノベーションも対象です。「リーン・スタートアップ」なども含みます。そのためには後述の知識エリア「引き出しとコラボレーション」の活動と「戦略アナリシス」活動が有機的に結合されることが重要になります。それが「戦略的なIT投資」につながるのです。そのためには戦略をベースにした小さな変革が重要です。
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上図は、ビジネスアナリシスの活動の進歩と、潜在価値の発見から実現価値の提供に至るまで、価値のスペクトルです。
左側が「戦略アナリシス」で、扱う情報は「ニーズ」から始まります。「引き出しとコラボレーション」の活動と強い密接な関係を意味します。
知識エリア「戦略アナリシス」には次の4つのタスク「現状を分析する」「将来状態を定義する」「リスクをアセスメントする」「チェンジ戦略を定義する」があります。
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「現状を分析する」タスク:
まずビジネス・ニーズを理解します。ビジネス・ニーズが現在のエンタープ ライズの機能とどのように関係しているかを理解し、チェンジのためのベースラインとコンテ キストを設定します。
「将来状態を定義する」タスク:
ビジネス・ニーズが満たされたことを明示するゴールおよび目標を定義します。そのゴールおよび目標を達成するにはエンタープライズのどの部分をチェンジする必要があるかを定義します。
「リスクをアセスメントする」タスク:
チェンジの周辺にある不確かさを把握し、その不確かさが価値の提供に与える影響を考慮します。また必要に応じてリスクへの対処方法を推奨します。
「チェンジ戦略を策定する」タスク:
現状と将来状態との間のギャップを分析し、将来状態を達成するための実現案を評価します。そして、将来状態に到達するための最も価値の高い(実効性の高い)アプローチ(実行計画)を推奨します。
次回は「現状を分析する」タスクを解説します。楽しみにお待ちください。
4.1 「現状を分析する」タスク
目的:
- エンタープライズの現状を調査し、なぜチェンジが必要なのかを明確にします。
【ビジネス・ニーズ】
エンタープライズが直面する、戦略的に重要な問題または機会を特定します。
ビジネス・ニーズの例です:
- 問題が組織内で引き起こしている影響(売上げ低下、効率の悪さ、顧客の不満、従業員のモラルの低下など)
- ソリューションから予想される便益(売上げ増、コスト減、市場シェア拡大など)
- 問題解決の時間短縮、または素早く機会を捉えられるか。また何もしない場合のコスト
- 問題の発生源
などがあります。
ビジネス・ニーズ(対処するべき問題または機会)が明確になれば、ビジネス環境分析を行いましょう。ビジネス環境分析を先に行う場合もありますが。内部、外部、マクロと3つのカテゴリーで分析することをお勧めします。まず内部要因ですが、モレ・ヌケなく分析するためには5W1Hの観点で調査することが重要です。次のように構造化するとよいでしょう。
内部要因として、次のものがあります。
- 内部資産(What):情報資産、金融資産、ブランド、などを考えます。5W1Hの観点ではWhatに相当するものと言えます。
- 組織構造と組織文化(Who/Where): 人と場所、信念、価値観、規範などですが、WhoとWhereのみならず文化的要素まで考慮します。
- 能力とプロセス(How/When):提供する製品・サービス、サポート機能、提供(生産)機能、価値ストリーム(物流)、意思決定の手法。コア・コンピテンシなど幅広いものがあります。HowとWhenに大きく関係します。物流がある場合はWhereにも関係します。
- ビジネスのポリシー(Why):エンタープライズのビジネスの意思決定を支援します。Whyに相当します。
- ビジネス・アーキテクチャ:上記5W1Hの要素を経営・業務レベルの観点で横ぐしをとおしてまとめます。
- テクノロジーとインフラ:上記5W1Hの要素を情報システムとインフラの観点でまとめます。
5W1Hの観点と、ビジネスアーキテクチャ、テクノロジーとインフラ、の関係はエンタープライズ・アーキテクチャの影響を感じる読者がいるかもしれません。筆者もそう感じます。
続いて、外部要因、マクロ要因を分析します。
外部要因には次の要素があります。
- 業界構造:業界特有の価値創造の方法
- 競合他社:競合他社の動向、特に新規参入者。
- 顧客:エンタープライズが対象とする顧客セグメントのニーズは特に重要です。
- サプライヤー:パートナーの動向にも注意が必要です。
マクロ要因は次のものです。
- 政治と規制環境:アベノミクス、選挙、...
- テクノロジー:世の中の技術革新(AIやIoT)はすべての産業に影響します。
- 経済要因(景気、失業、インフレなど):アベノミクス、EUの動向(円高、円安)など、数多くの要因がビジネスに影響します。
左の表は内部影響要因と外部影響要因、それに関連する効果的なテクニックを一覧化したものです。内部資産(What)、組織と文化(Who/Where)、能力とプロセス(How/When)、ポリシー(Why)の5W1Hを横ぐしでビジネスのレベル、テクノロジー(情報技術)のレベル、インフラのレベルでマトリクス表現してみました(まさに簡易版のエンタープライズ・アーキテクチャになります)。
このタスクで有効なテクニックとしては、
- SWOT分析
- ビジネスモデル・キャンバス
その他、多数あります。
読者におなじみのiPodを例に考えてみましょう。次の図はiPodのビジネスモデルです。
翔泳社 「ビジネスモデルジェネレーション」の内容より筆者が加筆修正
iPodだけの時のビジネスモデルは上図のようなものでした。
その後、アップル社はiTunesを発表したのですが、その新しいビジネスモデルは次のようなものになりました。
新たな価値提案として、より優れたビジネスモデルによるものであり、デザインの優れたiPodデバイス、iTunesソフトウェア、iTunesオンラインストアの統合によるユーザーにシームレスな音楽体験をもたらしました。Appleの価値提案は顧客がデジタル音楽を簡単に購入し楽しめるようにしたことです。この価値提案を可能にするためには、Apple が大手レコード会社との交渉によって、世界最大の音楽ライブラリーを作る必要がありました。(翔泳社発行:「ビジネスモデルジェネレーション」より引用)。
ソリューションとしてKA(主要活動)のシステム開発を考えてみますと、VP(価値提案)の「シームレスな音楽体験ができる」、CH(チャネル)の「顧客がiTunesストアで購入できる」、CR(顧客関係)の「他社に切り替えるための高価なスイッチングコストが必要」、KR(主要リソース)の「iTunesソフトウェアによるコンテンツ利用権の提供ができる」などがビジネス要求と考えることができます。
これらのビジネス要求をインプットとして将来状態を定義していきます。
4.2 「将来状態を定義する」タスク:
「将来状態を定義する」タスクの目的は、ビジネス・ニーズの達成に必要な条件を決定することです。
【ビジネスのゴールと目標】
BABOKバージョン2では、ゴールと目標は上位から与えられていましたが、新しいV3ではゴールと目標を定義するっことになり、根本的に変革したと言えます。ビジネスアナリシスの仕事そのものが戦術から戦略に変化した部分でもあります。
ゴールとして扱うものとして、
- 新しいプロダクトやサービスの創出、競争上の優位性の確立。
- 売上げの増加、コスト削減による収益改善。
- 顧客満足度の向上。
- プロダクトやサービス提供までの時間短縮。
などがあり、すべて企業戦略に直結します。
米国の経営者は「業務改善・標準化」「現場の改善」程度の効果にはあまり興味を示さなくなっていて、戦略的投資の対象としてはビジネス・モデルそのものの変革で、具体的には「ビジネス自体の改革」「商品サービスの創造」「顧客の拡大」などが主流のようです。新しいBABOK®のV3はまさに米国の経営者の意図を反映しています。特に「商品サービスの創造」は「戦略アナリシス」のみならず、後述の「引き出しとコラボレーション」の概念実証、プロトタイプ、データ・マイニングなどと密接な関係のある総合的なアクティビティが要求されます。
「現状を分析する」タスク同様に、ビジネス環境分析を行いますが、その前にもう一度「ビジネスモデル・キャンバス」を見ます。
ピンク色の部分が新しく追加されたビジネスモデルです。サンプルとしてこのiTunesを加えたiPodのビジネスモデルを将来状態として戦略アナリシスで分析してみましょう。そのためには、ビジネスモデル・キャンバスとビジネス環境分析の各要素を対応づけてみましょう
概ね左図のように対応付けられることが分かります。この対応が極めて重要です。
「顧客セグメント」を変えることは外部環境の「顧客」を変えることですし、業界構造にも影響を与えます。「テクノロジー」の変化(技術革新)による革新的な商品・サービス(能力とプロセス)が新しい顧客セグメントを可能にするかもしれません。「価値提案」を変えるためには「能力とプロセス」を変えなければなりません。その結果はビジネスアーキテクチャーに反映されます。顧客との関係を変えるためには契約(ポリシー/ルール)を変える必要があります、など。すなわち、ビジネスモデル・キャンバスの要素と環境分析の要素は関連付けることが可能です。そして次の表のように、有効なBABOKのテクニックを採用することが可能になります。
有効なテクニック |
||
内部要因 |
組織構造と組織文化 |
組織モデリング |
能力とプロセス |
ビジネス能力分析、 プロセス・モデリング プロセス分析 |
|
テクノロジーとインフラ |
プロセス分析 |
|
ポリシー(ルール) |
ビジネス・ルール分析 |
|
ビジネス・アーキテクチャ |
ビジネス・アーキテクチャ (専門視点) |
|
内部資産 情報資産 |
財務分析 データモデリング |
|
外部要因 |
業界構造 |
市場分析 |
競合他社 |
SWOT分析、市場分析 |
|
顧客 |
市場分析 |
|
サプライヤー |
ベンダー評価 |
ただし、上記、ビジネスモデル・キャンバスの要素と環境分析の要素との関連付けは決して画一的なものではなく、チェンジのコンテキストによって対応付けが変わることがありうることに注意してください。
重要なことは何らかの対応ができれば、ビジネス環境変化に応じたBABOKのテクニックが使えることです。すなわち、キャンバス上でビジネスモデルを変えることはBABOKのテクニックを通じて実装へと導くことが可能になるのです。例えばiTunesの例では価値提案「シームレスな音楽体験」を実現するには内部要因の「能力とプロセス」を変えること、すなわち主要活動の「システム開発」(新しい能力・プロセス)の実現なので、「ビジネス能力分析」「プロセスモデリング」等につながります。それらのテクニックは要求アナリシスのタスクで使用されて実装へと導かれていくわけです。
当然、それらのテクニックを理解して使えるようになっていることが前提です。
【潜在価値】
ソリューションがもたらす潜在価値を明確にしなくてはいけません。iPod/iTuneの例ではR$(収益の流れ)にある、「巨大なハードウェアの売り上げ」の増加と「楽曲の販売収益」の合計です。これらが「開発費」などを上回っていなくてはいけません。
「現状分析」と「将来状態」が決まりましたので、その移行を含めたチェンジを実行する計画を策定するのが「チェンジ戦略を策定する」タスクです。ただその前にリスクをアセスメントしようというわけです。こう書くと当たり前のように聞こえるかもしれませんが、大きな意味がありますので解説します。
実は、以前のBABOKはリスクにあまり重きを置いていませんでした。「ビジネスケースを定義する」というタスクの中の要素の一つでしかなかったのです。それが今度のバージョン3では、独立したタスクとして扱われるようになったのです。これは大きな変化と言えます。
【リスクをアセスメントする】:
チェンジの周辺にある不確実性を把握し、それらの不確実性がチェンジを通して価値の提供に与える影響を検討し、必要に応じてリスクへの対処を推奨します。
【チェンジ戦略を定義する】:
現状と将来状態との間のギャップを分析し、将来状態を達成するための実現案を評価し、、将来状態に到達するための最も価値の高いアプローチとその過程の移行状態を推奨します。
【現状】【将来状態】【リスク】【チェンジ戦略】の4つのタスクの相互の関係が極めて重要です。いくつかのケース(パターン)を説明します。6つありますが、これが全てというわけではありませんのでご注意ください。
【ケース1】:もっとも単純なパターンです。リスクが少ない(小さい)場合
チェンジ戦略は現状と将来状態を直線的に結ぶ計画になります。一昔前の中期計画と言われていたものも該当します。今でも公共系ビジネスなど、環境変化が少ないビジネスでは有効です。ロードマップとして、1年後、2年後...5年後の姿を絵にすることができます。従来型のウォーターフォール型のPDCAが最も適したビジネスモデルです。途中では主にビジネス改善が実践されます。ITサービスマネジメントの継続的改善もこのパターンに分類されます。
【ケース2】:現状と将来状態の間に大きなリスクが想定される場合
よくあるパターンはそのリスクを避けるためにチェンジを数回実行します。これもウォーターフォールとPDCAサイクルがまだ有効です。チェンジ1の実行後に再度将来状態をレビューし、問題がないことを確認してからチェンジ2を実行し将来状態までたどり着きます。中期計画、ロードマップ、継続的改善の一部と言えます。
【ケース3】:ビジネスの周りにリスクが多く想定される場合ですが、まだ将来状態は明確にすることができるケース
多くのリスクを避けるために最初のチェンジは小さなチェンジからスタートします。つぎに環境分析とリスクアセスメントを行い、再度リスクを避ける小さなチェンジを繰り返し実行しながら将来状態に徐々にたどり着くパターンです。小さなチェンジのためにはアジャイル開発も必要になるかもしれません。
【ケース4】:リスクがあまりにも多く、将来状態が定義できないケース
とりあえず、リスクを避けて小さなチェンジを実行し、環境分析とリスクアセスメントにより小さなチェンジを何回か繰り返します。将来状態はどこにたどり着くか未定のままのビジネスになります。言い換えるとチェンジと将来状態の区別がつかないパターンです。大きな将来像が描けませんから大きな投資は期待できません。Webビジネス、ゲームなど最近のビジネスはこのパターンが多いようです。開発スタイルは当然、アジャイルがメインです。
【ケース5】:目の前のリスクを果敢に取りに行きますが、失敗しビジネスチェンジを断念するパターン
早めに失敗することが重要です。別のビジネスイニシアチブに投資できる余裕を残します。組織文化が極めて重要です。失敗から学ぶことを尊いと考える文化です。アジャイル開発ができなければ実現できないでしょう。
【ケース6】:多くのリスクがある中、環境分析を注意深く行いながら果敢にリスクをとりに行き成功するパターン
再度環境分析とリスクアセスメントをし、再度リスクを取ることに成功し、大きな成果を得るパターンです。これが本当のビジネスイノベーションと言えます。アップル社のiPhoneなどのビジネスが該当します。このケースも組織文化が極めて重要です。
BABOKの「戦略アナリシス」は上のどのケース(パターン)でも対象としています(パターンは6つとは限りません。派生、組み合わせを考えるといくらでもありえます)。読者の皆様のビジネスではどのパターンが有効でしょうか。それに合わせて、4つのタスク「現状を分析する」「将来状態を定義する」「リスクをアセスメントする」「チェンジ戦略を策定する」を組み立ててみてはいかがでしょうか。